
南加賀屋にある、
加賀屋新田会所跡へ行ってきました。(2015.3.7)
写真は再建された長屋門ですが、絵になりません。
せめて木製の柵にすればいいのに…。
このフェンスのせいで外観は台無しですが、
中はとても素晴らしいものでした。

加賀屋新田会所跡は、1754年に居宅兼会所として建てられたお屋敷です。

大阪市内は昔殆どが海でしたが
大和川と淀川が土砂を運び続け、陸地となります。
旧大和川は水量の割にはひょろっとした細い川(平野川、長瀬川)
に分かれて河内湖に流れています。
旧淀川も、大阪湾まですんなり流れず、雨が続くと氾濫していたので、
昔の大阪は水害がとても多かったとされています。
年代はバラバラですが、古代から合理的に工事が続き、
淀川が一気に大阪湾へ流れるよう安治川を開削、
大和川を一直線に西(大阪湾)へ付け替えたのが大きいですね。
新しい大和川(写真の点線部分)が、沢山の土砂を吐き出し続け、
今度は住之江区や堺の陸地化が進み、
北島、加賀屋の新田開発が必要でした。
江戸時代後期まで少しはまだ残っていた河内湖。
見てみたかった気もします。

ちなみに新大和川です。よさみ池があった場所。

この写真は避難勧告が出ていた時ですが、
雨は止んでるのに避難しろと言われて見に行ったんです。w
住之江近くの橋は川の水が少し溢れていて、
これ以上雨が降るとやばい状況でした。
こんなに大きく掘ってくれてありがとうございます。


加賀屋新田会所跡は無料でした。
子供だけでの入館は堅くお断りをしています。
空襲などで、大阪に残る新田跡は加賀屋新田会所跡だけとのことですが、
安中新田会所跡旧植田家住宅(八尾)、
鴻池新田会所跡(東大阪)
というのもあるそうで機会があれば、また行ってみたいと思います。
新田開発に関わった大阪の商人は、地名の由来になっていたりしますね。

屋敷はこんなに広いんです。
北島新田を売却して、この屋敷を立てたとのことですが、
新田開発って儲かったんでしょうか。


冠木門
ここからの眺めは奥行きが広く見えるように建てられていますが
斜めから撮ってしまいました。


梅の花がチラホラと咲いていました。


土間
井戸が家の中にあるっていいですね。

居間へ続く廊下
ここから上がることができますが、とりあえず外へ。


土蔵
厚みのある扉に年期を感じます。

2階へ続く階段

加賀屋家は4代目まで新田開発を続け、
家督を譲りうけた娘婿の櫻井菊太郎さんが7代目
最後の当主としてここに住んでいたそうです。


では、お宅を拝見


玄関を入ると旧書院があります。中へは立ち入り禁止で廊下から眺めます。
1754年の建築当時のままだそうです。


渡り廊下

廊下から見た庭と茶室
何畳なのか数えられない程部屋が沢山ありました。

ふすまを開けると隠し階段(?)があります。

茶室の鳳鳴亭

庭に出てみました。
池は東池と西池とがあります。

池から見た茶室は高床式の舞台造りでした。
あそこを歩いてたんですねー。ぞっとしました。(笑)
団体などは一斉に同じ場所を歩かないよう
注意書きがありました。子供だけの入館禁止に納得しました。

待屋 偶然亭

四阿(あずまや)明霞亭
ここにはかつては茶室風の建物があったそうですが、
昭和20年の空襲で消滅して今は東屋になっています。

階上へ上るために使ったという松の木のみ残されていました。
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加賀屋新田会所跡大阪市住之江区南加賀屋4-8
入園料:無料
開園時間:10:00~16:30
休園日:月曜日(祝日の場合は翌日) 年末年始(12/28~1/4)
近くにコインパーキングあり。
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