
黒田勘兵衛も幽閉された、
戦国時代の武将荒木村重の有岡城跡へ行ってきました。

伊丹城と有岡城と城下町です。
荒木村重の前は、摂津三守護の一人伊丹氏が
伊丹市全域を支配していましたが、1574年に荒木村重に攻められます。
町全体を堀と土塁で固めた総がまえの城でした。


写真はお堀の部分です。
車ではぐるっと回る必要がありますが、
向かいには大きなイオンモール伊丹があります。

有岡城跡はアリオ伊丹のすぐ近くにありますよ。
Ario公式サイトに伊丹のアリオが載っていません。
もしかして、Arioって有岡城からネーミングされたんでしょうか?!


こちらが入口です。

有岡城跡の石碑
有岡城の戦いは、謀反を起こした荒木村重軍と織田信長軍の戦いです。
約一年籠城中、村重の友人の黒田勘兵衛は監禁されていました。
単身で村重は城を出ましたが、すぐにばれてしまい落城。
信長は、「歴々者ども妻子・兄弟を捨て、
我身一人助かるの由、前代未聞の仕立なり。」
と無抵抗の妻子や家来など670名を見せしめの為に尼崎の七松神社で処刑しました。
記事はこちら→
七松神社JR伊丹駅近くに大きな「有岡城の戦いの忠魂碑」があります。
写真を撮り忘れました。
その後も、逃げ伸びた荒木一族や家臣は処刑され続けます。(怖い)
執拗に追う信長は途中箕面の滝に訪れたり、猟をしたり余裕。
村重は、高野山や毛利氏に匿ってもらい、
本能寺の変で命拾いをしています。
その頃西を攻めていた秀吉にとって村重の謀反はピンチでしたが、
本能寺の変の後、秀吉の茶飲み友達になっていますし
勘兵衛も根に持っていないようですし、怒っていたのは信長だけだったという。。
秀吉はその後陰口を言われたりしても許す^^大人な対応をしています。

平城なのに、なかなか落とす事ができなかった有岡城ですが、
城主が不在になるとあっけなく落城しました。
逃げたわけではなく、まだ戦うつもりだったのかもしれません。
家臣や一族を見捨てて生き延びた。ともいえますが
戦国時代とはいえ、信長は残忍すぎて、
同情した(?)武将も多かったのかもしれません(妄想)

今も残っている有岡城の一部です。

きしの砦




井戸跡なども少し残っています。
有岡公園(伊丹城跡)
兵庫県伊丹市伊丹2丁目
JR伊丹駅すぐ
ナビ設定するなら↓こちら
伊丹市伊丹1-10-15
参考資料(笑)はこちら↓
- 関連記事
-