
堺市の綾ノ町から鉄砲町にかけて、
榎並屋勘左衛門屋敷跡(芝辻理右衛門屋敷跡)~堺鉄砲屋敷~鉄砲鍛冶屋敷跡
とめぐってきました。

この辺りは鉄砲鍛冶屋が沢山ありました。
この建物跡は完全に新しく建て替えられていますね。
堺は大坂夏の陣、大戦時の空襲で2度焼かれ、
大きな道路は戦後昭和30年頃に区画整理された道で
綾ノ町の様に細い道が続く辺りは昔から残っている土地なんですって。

徳川家康が大阪城を攻めるための大砲作りを命ぜられたのが
芝辻理右衛門氏で、1611年に国内最大級の大砲を作ったそうです。
堺の鉄砲商人は、武士と同じ程の権力を持っていたようで
豊臣側にも鉄砲を売っていたんですって。
と言うよりも、お金さえ払えばだれにでも売っていたそうです。

この大砲は、今は靖国神社の遊就館に保管されているとか。
行った事あるけど、あったかなぁ。
記事:
東京旅行3日目(明治神宮~靖国神社~赤坂サカス)2009年01月19日

堺は1586年豊臣秀吉によって環濠を埋め立てられ、
大坂夏の陣(1615年)の際に豊臣側に焼かれた事。
堺の職人を大坂にどんどん連れて行かれ、
ただの物づくりの町と衰退してしまいます。
逆に徳川家は環濠を掘り直し、
堺を復興してくれたという事で、徳川寄りだったんですって。
ちなみに、大阪市の堺筋は、堺の職人を住まわせたから堺筋。
中央区にある平野町は、現平野区の職人が住んでいたからついた地名だそうです。
堺の方が歴史は古い。とのことですが、確かに大阪市は海でしたからね。
今の大阪(市)があるのは、大公さんに、
堺の職人のみなさんのおかげでもあるという事ですね。
石山本願寺→
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第38回堺まつり NPO法人環濠クルーズSakai 堺のんびりクルーズ2011年10月31日

綾ノ町の停留所。7つの角があるから七道(?)

紀州街道


鉄砲鍛冶屋敷跡

こちらは現在も住民がいるとのことで非公開。
年一回だけ内部の一般公開をしてくださるそうです。

堺鉄砲館
入館料は100円です。ガイドさんがとても詳しく教えてくれます。

鉄砲屋敷跡が入れないため、ここで色々説明を聞きます。

持たせてもらいましたが、とても重いです。
左の長い鉄砲は実際人を打っていませんが、
右の短めの鉄砲は大名用で実際打ったことがあるもの。
(どの玉が命中したかはわからず)

江戸の平和な時代に入ると鉄砲も売れなくなり、
模様入りの飾りとして売られるようになります。

一番右のは岸和田城岡部氏所有のものだそう。
左の長い鉄砲よりもさらに重いです。

弾丸は丸いです。先がとがっていなくても体に入るんですねー。
鉛は体に毒なので、すぐに取り出さないとダメなんですって。
打たれたら、右の小さいものでも顔が吹き飛ぶとか。

鉄砲はポルトガル人が種子島に漂流した時に持っていた2丁を
種子島の島主が買取り、鍛冶屋に複製させたのがきっかけで、
国内に一気に広まります。すでに世界一ともいえる数の鉄砲がありました。
鉄砲を売った国はあったけど、それをコピーして作ったのは日本だけらしい。
堺や周辺に鉄が採れる産地はありませんが、
朝鮮半島から人と共に鉄も輸入していたとされています。
作り方は鉄の延べ棒を熱して丸くして、
更に周りを鉄をらせん状に巻きつけます。
これが無いと衝撃で鉄に亀裂が入ってしまうそうです。
なので、持つととても重いのです。
ポルトガルやスペインは昔は凄かったですよね。
侵攻の手口はキリスト教の仮面をかぶったスパイを送ることから始まります。w
フランシスコザビエルが国王に送った手紙に
「日本の軍隊は非常に強力なので軍事での侵略は不可能」と書いたとか。
国内の戦の為の鉄砲が牽制に繋がったてたんですね。

刀も包丁も鉄砲も…すべてこれで作ります。

長篠の戦い(1575年)
織田信長と武田信玄の戦いでは、戦いに強かった武田信玄が敗北。
新兵器に次々とやれれてしまいます。
この時の鉄砲の数は3000ですが、堺で作られたものです。
当時、鉄砲は近江でも作られていましたが、
近江の場合、殿様等特別な人物用に丁寧に作っていたので数がわずか。
注文があればすぐに納品できるようにしていたのが堺でした。
大阪商人というのも原点は堺だったのでしょうか。
無駄な在庫を抱えないように、いつどこで戦が起きそうか?などの
情報収集に、お茶が栄えたそうです。
茶室って特別天井が低かったり、秘密の小部屋みたいだったのも
納得できますね。


江戸時代の和泉国の本(本物)
無造作に置かれていて読むことができますが、
値段を聞いているのに長さを応えたりして、
武士をからかっている様子が描かれています。
大阪のお笑いも、堺が原点ではないのかとの事。
江戸も末期となれば平和すぎて武士が貧乏となりましたが、
堺の鍛冶職人は包丁に切り替え、自転車部品と現在に至ります。
お茶に鉄砲に刀に包丁に…話が全部つながりました。

明治維新により大阪よりも巨大な堺県が誕生します。
東京、京都、大阪を府としましたが、何故こんなに大阪府が小さいのか?
府にしては狭小すぎたため、14年後、堺は大阪とくっつきました。
堺がまた繁栄するチャンスだったのですが、
くっつきたくなかった相手とくっついてしまったという事なんですって!
大阪都構想についても、大阪市とくっつけて良かったね?
みたいな上から目線が許せなかったんだとか。^^;
初耳でとてもショッキングでしたが(笑)それは冗談なのか、
一人のガイドさんの意見なのかは分かりませんが、
「そうだったのかぁ。今までごめんね。」と聞いていたのでした。
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堺市立町屋歴史館 山口家住宅(大阪府堺市堺区錦之町東)堺市立町家歴史館 清学院(大阪府堺市堺区北旅籠)鉄砲館のガイドさんは話が分かりやすくてとても勉強になりますよ。
堺鉄砲館11:00~16:00(土・日曜日、祝日のみ開館)
100円 ※武将変身体験100円(別途)
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