
有田の光の湯の後は、広川町にある
津波防災教育センター 稲むらの火の館へ。
津波や地震について詳しく学べるとのことで
他にも色々とスポットはありましたが、こちらに訪れました。
津波防災教育センター 稲むらの火の館へ到着しました。15:30でした。

小泉さんって字が下手なんですね…。
訪れたことがあるのかしら?
皇太子がホントに最近ご訪問されたようで、写真がありました。(
記事)


高麗燈籠のある庭園

入場料は500円です。写真の木造の建物
濱口梧陵記念館建物は後から見ることになるんですが、
私達時間が無くて閉館時間となってしまいました。
15時半に来たのに…。ここには3時間は時間が必要だと思いました。

とりあえず1階から。



ゲームができるという事でやってみました。
地震が来たらどうすればいいのかのクイズです。
正直、考える時間が短くてハードルが高いです。

認定書はクイズの正解数とか関係ないようでした。(笑)

津波シミュレーション
長さ約16mの津波実験水槽です。
動画

一度きりの大波ではこんなものかと思ってしまうなぁ。
次から次から大波が押し寄せてくるイメージがあるんですが。


3D津波映像シアターで、2本立ての3Dシネマを見ます。(30分)
最終だからか私達だけの貸切でした。

始めのシネマでは、津波でんでんこと言って、
初めからどこに非難するのか実際に避難場所まで
家族で行って、地震が来た時は家族を探さずに各自で避難。
近所の人が居たら非難するように呼びかけて、
車では絶対に逃げない事。という内容でした。
CGで津波が襲ってくる様子がかなりリアルです。

2本目は実際にあったお話で、
1854年、安政の南海地震による大津波が広村(広川町)を襲いました。
醤油醸造業を営む大店の分家に生まれた濱口梧陵氏は、
稲むらを燃やす事で避難してくる人を誘導。
その後、またいつか訪れる津波に備え、大堤防を築いた人物です。
広川町は1946年の昭和の大地震で津波に襲われましたが、
この堤防のおかげで被害が最小限で済んだそうです。
こんな話全く知りませんでした。感動して涙が出ました。
広村堤防で検索すると何度も何度も津波被害があるではないですか。

稲むらとはちなみにこれです。今でも見かけますね。
当時は藁草履を編んだり屋根に使っていたので貴重だったんです。


3階は主に東日本大震災の時の写真や動画。
2階は継承の道等の展示物がありますが、メインは1階のようです。


濱口梧陵記念館の方は土間シアターや土間なども有りましたが
時間がなく見ることができませんでした。
始めのゲームを大人なんだし省けばよかったかも。

濱口梧陵氏の銅像

その後、広村堤防へ行ってみました。
高さ5m、根幅20m、延長600mの大防波堤を安政2年(1855年)2月に着工し、
安政5年(1858年)12月に完成させました。
工費銀94貫344匁(1,572両)の私財を投じ、延人員56,736人の村人を雇用することで、
津波の被害で荒廃した村からの離散を防ぎました。(引用)
左側にちらっと写っている石垣は、室町時代に豪族畠山氏が
津波対策として、海岸に石垣を築いたもので
石垣は海面からの高さが約2.7メートルのものでした。


赤門(防潮扉)

広川町役場前にある浜口氏の銅像。
松明を付けて避難を誘導している様子です。
村人たちが避難したという
広八幡神社はどこにあるのか解らず
帰ってから知りました。もう少しゆっくり散策したかったです。


広川町へ行くには途中湯浅町を通りますが、
時間が足らず、車窓のみとなってしまいました。
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737-64-1760
午前10時~午後5時 (入館時間は午後4時まで)
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