造幣局の
造幣博物館へ訪れました。
桜の通り抜けには何度かきましたが、
博物館へ訪れるのは初めてです。
以前来たことがあるんですが、最終入館時間が16:00までなので
間に合わなかったんですよー。
工場見学というのもあるんですが、こちらは平日のみです。
お金作ってる所見てみたいわー。
桜門
正門
平日はこちらが入場口です。
北門
受け付けを済ませてバッジを受け取ります。
ミントショップ
こちらでは硬貨のプレートなどが販売されています。
先に入ればよかったんですが、閉館ぎりぎりまでいたので入れず。
江戸時代ごろ、この辺りには与力の豪邸が沢山あり、
大塩平八郎さん宅(洗心洞)跡に造幣局が建てられています。
そちらは北宿舎側にあるそうで、また行ってみたいです。
大塩平八郎の乱"
天満橋の大塩邸を発った大塩一党は、難波橋を渡り、北船場で鴻池屋などの豪商を襲い、近郷の農民と引っ張り込まれた大坂町民とで総勢300人ほどの勢力となった。彼らは「救民」の旗を掲げて船場の豪商家に大砲や火矢を放ったが、いたずらに火災(大塩焼け)が大きくなるばかりで、奉行所の兵に半日で鎮圧されてしまった。
大塩焼けによる被害状況は、『浮世の有様』などの史料によれば、天満を中心とした大坂市中の5分の1が焼失し、当時の大坂の人口約36万人の5分の1に当たる7万人程度が焼け出され、焼死者は少なくとも270人以上であり、餓死者や病死者を含めるとそれ以上だといわれている。"
この辺りは火の海です。豪商もとばっちりを受けています。
桜並木
過去記事はこちら
大阪造幣局 桜の通り抜け(2009年04月17日)大阪造幣局 桜の通り抜け (2008.04.19) 旧正門
博物館の入口です。
入場料は無料で予約も無くは入れます。
明治9年(1876年)6月に工作方技師大野規周が製作したもので、
当時の工場の正面に取り付けられ、
定刻に鐘を鳴らし、局内に時刻を知らせていたそうです。
明治4年(1871年)創業の造幣局は現在の3倍ありました。
昭和に入って造幣局の真ん中(橋が架かってる辺り)
を国道1号線が開通しているので、道路より北側(下側)の土地は
造幣局ではなくなり、泉布観は現存。
造幣局も殆ど新しく建て替えられていて門跡などしか残っていません。
ちなみに造幣局前の国道1号線。目の前に泉布観があります。
博物館は3階まであり、一つ一つ見ていくと
閉館時間になってしまいました。^^;結構見ごたえがあります。
2階は創業当時、明治政府が全国統一した貨幣作りに関する展示物です。
当時は金化や銀貨を作っていたんですね。
30分毎に上映されるシアター。
創業当時と現在の造幣事業の解説です。
金銀貨幣鋳造場の模型。開く仕掛けになっています。
外国人が見えますが、お雇いイギリス人です。
"
キンドルは、当時栄華を誇った大英帝国の元陸軍少佐、元香港造幣局長という経歴を持ち、渾名のとおり激しい性格の持ち主であった。警備兵が自分には捧げ銃の礼をしないといって怒る一方で、明治天皇行幸の際には最敬礼をしなかったとして近衛兵の指揮に当たっていた西郷隆盛を怒らせるといったようなエピソードも残している。 また、高額の給与を取っていたことなども加わり、
井上馨、遠藤謹助といった幹部をはじめとする日本人局員との間で紛争を繰り返し、その後の排斥運動につながっている。"
真ん中に烏帽子直垂(えぼしひたたれ)姿三条実美右大臣が写っています。
右大臣ってかっこいいですね。現在の総理大臣の事です。
大阪城の右上の丸い部分が造幣局に選ばれました。
"
慶応3(1867)年12月、王政復古の大号令が下った。明治新政府は、まず混乱した貨幣制度を立て直し、近代的統一国家建設の礎とすることを決意した。 翌慶応4年、政府は造幣工場の建設を決定、会計官判事三岡八郎(由利公正)、外国事務局判事五代友厚らが英国商人グラバーを通じて、当時閉鎖の状態にあった香港造幣局の機械一式を6万両で購入する契約を結んだ。 建設予定地は大阪と決まり、同年8月、香港から造幣機械が到着した。「第一に水利を考え、広大な面積をとるべし」との理由から、現在本局が立地する旧川崎村の旧幕府御破損奉行役所(大阪城内外の建築物の造営、維持管理を行っていた役所)の材木置場跡地をはじめとする一帯が建設地に選ばれた。設立決定当時、大阪遷都論が背景にあったことと併せ、王政復古に貢献した大阪財界に対する配慮、東京の治安が未だ確立していなかったこと、などがその理由と言われている。 "
もう少しで大阪が首都になる所だったんです。
もうチャンスはなさそうです。
製造中、硫酸ソーダ-から産出された硫酸銅だそうです。
日本最古のガス灯。
500円玉硬貨の素です。
日本国の周りの線は髪の毛より細いそうです。
硬貨の縁のギザギザは斜めに入っています。
貨幣袋
財務省を通じて日本銀行への引渡しを行っています。
千両箱は千両(18kg)が入る箱です。
持ち上げる事はできましたがすごく重い!
他のズタ袋も持ち上げる事ができます。
本物の金塊(約15.9㎏)、銀塊(約33.5㎏)に直接触れることができます。
持ち上げようにも持ち上がりません。キャッツアイできませんでした。
左の金は7000万円位ですね。
こんなものが置いてあるからか職員いっぱい。
昔の金銀貨幣
造幣局では勲章や、オリンピックのメダル、品位の合格した貴金属に
ホールマークの刻印も打っています。
写真不可だった勲章の、瑞宝単光章がとてもお洒落で
欲しいなーとか言ってたら、「校長になったらもらえますよ。」と言われました。
気になって調べると質屋とかヤフオクとかに流れていますね。^^;
旭日大勲章もかっこよかったです。
天皇陛下が身に着けている
大勲位菊花章頸飾も展示してありました。
私達がもらえる可能性がありそうなのは、
人命救助か500万以上の寄付でもらえる褒章ですねー。
まあ・・無いかな。^^;
三階へ移動します。
昔の小判などが展示されています。
外国の貨幣も展示されています。
和同開珎は、もともと唐の貨幣を真似したものだったんですね。
昭和30年代頃から現在までの硬貨。
穴の無い50円は4年と短いです。
記念コイン
大阪府の1000円コイン。お金じゃないみたい。
これ欲しいです。大阪は仁徳天皇陵。
毎年貨幣セットが販売されています。欲しかったんですが、
もう売店が閉まっていました。
造幣博物館工場見学造幣局の歩み大阪市北区天満1-1-79
谷町線 南森町から徒歩15分
谷町線 天満橋から徒歩20分
午前9時から午後4時45分(入館は午後4時まで)
入館料:無料(駐車場なし)
JR大阪天満橋から徒歩10分
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