
吹田をうろうろ。。時間が全然たりませんでしたが、
浜屋敷という旧庄屋屋敷跡の浜屋敷へ訪れました。
2000年まで子孫の気比家の方が住んでおられましたが
もう管理ができないとの事で丸ごと吹田市へ寄付したそうです。
旧気比家住宅ではなく浜屋敷なのは、匿名での寄付だったからでしょうか。


入口は三重構造になっていて、
大戸、くぐり戸、障子で閉められていたそうです。


大戸口のソテツは樹齢100年以上なんですって。
入場は無料。スタッフ全てボランティアさんです。
丁寧に案内までしていただけます。

はじめに案内していただいたのはだんじり庫です。

だんじりは壇尻と書くそうです。江戸中期に関西で始まったそうで
当時建造された地車が吹田では7台現役で使われているんですよねぇ。すごい!
ちゃんと彫り師の名前や建造年月日が掘られているので
価値が高いんだそうです。


彫り物は仙人や兎、猿、鹿など・・。
目のガラス玉も当時のもので、取れてしまった部分は
修復していませんね。


現在では金田町、川面町、神境長、都呂須、西奥町、浜の堂、六地蔵の
7台の地車が残っていて有形民俗文化財に指定されているそうです。
今作る場合は一億円程かかるとか。


土蔵は3棟からなっていて、江戸時代末期のものです。
全体的に修復したものの、比較的状態が良くて古さを感じません。
現在は展示資料室、音楽室、多目的室として貸出なども行っています。
左から部屋蔵、中の蔵、隅の蔵です。
昔は火を起こすのに一苦労するために、着けっぱなしだったからか
火災が多く、こういった蔵が必要だったんですね。
関西には蔵は多かったそうですが関東にはあまりなかったんですって。
理由を聞いたけど・・。完璧に忘れました。
この日は音楽室で能面の展示画行われていました。

展示室

山田村の方が大きいのに吹田市になったんですね。
吹くって書いてすいたと読みます。
昔は海だった所に田を植えても田がぶくぶくと吹いてしまって育たないとか
次田から字が変わって吹田になったとか色々節はあるそうですが
由来ははっきり分からないそうです。


気比家は過書株も持っていたので
神崎川の船運業にも関わっていたとか。

帳簿を見ると○○円位とか書いていて
適当で笑ってしまいました。


この鍵は土蔵の鍵なんですよねー。
実際に開け閉めができます。微妙にカーブが掛かっていて
この鍵しか入らなくなっています。

ねずみ返し

戸は地の方にもコマが付いていて、
するすると引きやすくなっています。

主屋を外から見るとこんな感じです。

中庭
夏の風物詩である「氷旗」が妙にしっくりくるわぁ。


cafe de 井戸端ですって。ドリンクもかき氷も150円。

最近のかき氷は機械の性能がよくなったんでしょうか。
ふわっふわしていてめちゃうま!
台湾かき氷のようでした。

現役で使われている竈。


主屋にも入らせていただきました。

沢山ある部屋を格安で借りる事ができます。
安いので、寝るために一人で借りる人もいるそうです。


茶室もあります。

私は庭のある部屋がいいなと思いました。^^
お借りして昼寝しようかしら。

その後は神崎川(安威川)まで歩いてみました。

高浜橋

吹田の渡し跡
江戸初期には1隻だった渡船が幕末には5隻に増えましたが
鉄道の普及により衰退し、明治8年に廃止されたそうです。

実際に渡し船があったのは、神崎川と安威川の
分岐辺りだそうです。

上高浜橋。徒歩専用です。


正露丸のような匂い?BBQの匂いがすると思ったら
大幸薬品がありました。BBQの匂いと紙一重って。。
マロニーも吹田の会社だったんですね。知りませんでした。


泉殿宮へも寄りました。
こちらにも地車が保管されているそうです。
吹田三名水の一つがこちらの境内から湧き出ていたそうですが
今はもう枯れてしまっています。
"明治22年(西暦1889年)に「泉殿霊泉」より湧きだす 水を ドイツミュンヘンに送り、これビール醸造に適水との保証を得、当宮隣接地に同水系の湧水を以って、東洋初のビール醸造工場(現、アサヒビール㈱吹田工場)建設の逸話がある。"
世界最古の会社金剛組。創業1500年とかよね。四天王寺に会社があります。




境内はこんな感じ。修復工事中でした。
吹田歴史文化まちづくりセンター 浜屋敷大阪府吹田市南高浜町6−21
9:00~22:00(月曜定休日)
R東海道線吹田駅から徒歩約15分
阪急北千里線吹田駅から徒歩約20分
泉殿宮大阪府吹田市西の庄町10−1
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