
雨で予定が立たずにこちらへ。
江崎記念館毎月第1、第3土曜日なら予約なしで見学できます。
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館内に入るとグリコのキャラメルがいただけます。
結構見学者が居て大人が多いです。

グリコピアは子供向け。江崎記念館は大人向けといった感じですが、
江崎記念館はグリコのキャラメルと、
創業者 江崎利一氏がメインという感じです。

グリコのマーク。
”江崎グリコの創業者が「グリコ」を考えたときに、製品と同時に、「おいしさと健康」をあらわす「名前やマーク」についても考えました。ちょうどそうした時に、子供がかけっこをしてゴールインする姿を見て、「これだ!」とひらめいたのがゴールインマークです。マークが決まるまでにいろんな姿を研究しましたが、特定のモデルはなく、時代に合わせて変わってきています。”HPより


怖い顔や体型は少しずつ変化しています。
当時から怖いという意見が多かったそうです。

1粒で300メートル
当時は大きい飴があって、佐賀から博多まで舐められる
「はかたまで」という飴があり、キャッチコピーを思いついたとか。

創業時のしゃもじ
江崎利一氏は元々佐賀の出身です。
昔は生ガキの流通はなく、火を通してから出荷していたため、
牡蠣の煮汁は海に捨てられていたそうです。
その煮汁は栄養があるに違いないと研究所に持ち込んでみた所
煮汁にグリコーゲンが沢山入っていました。
それをキャラメルに入れて売る…。想像すると売れなさそうですが。。


堀江工場
41歳と当時としては遅咲きですが、大阪に引越して事業を始めます。

大正11年にはこの屋台で納品したそうです。

グリコ橋

昭和5年に仮設され、昭和49年に川の埋め立てによって
消滅した橋。どの辺りだったんでしょうね。


自動販売機

豊崎工場
空襲で工場も丸焼けにになり、何もかも失ってしまったそうですが、
知識だけはあるので0からの再スタートではないと
事業を再開したそうです。

東京工場での創業者

創業者が使っていた遺品

グリコネオンの歴史
2015年からは結構シンプルなグリコサインに変わっています。
それまでの期間限定綾瀬はるかちゃんや現役の展示はありませんでした。

初代(1935年(昭和13年)~1943年
江崎利一氏は、一日に20万人もの人が戎橋を通る事に目をつけ、
巨大看板を思いつきます。高さ33メートルのネオン塔が珍しく
ミナミの名物となったそうです。

この頃は戎橋の下に建物がありますね。

二代目(1955年~1963年)
戦後10年は看板は無く、1955年から復活します。

二代目にはステージがあり、
ワニがピアノを弾いたり人形劇など
自動で動いていたみたいです。すごいですね。

他の看板なども忠実に再現しています。

三代目(1963年~1972年)
この頃から雪印と改源が登場。ずっと同じ場所。

どういう事なのかよくわかりませんが、12トンの噴水が
ネオンに照らされて虹を作っていたそうです。

4代目(1972年~1996年)
私の知っているのはここからです。
ブルーのイメージがありますが、グリコって赤なのにね。。

5代目(1998年~2014年)
背景は、大阪城、海遊館、大阪ドーム、通天閣です。
朝、夕、夜と空の色が変わるそうです。
そんなに意識してみてないから知らなかった。。
古臭かった雪印が夜になるとネオンが光るようになっています。

現在は戎橋の下に遊歩道ができて、川側からお店に入れるようになっています。

歴代のおもちゃ

グリコのおもちゃで作ったおもちゃランド


頂いたおもちゃはこれでした。久々に食べたキャラメルは
つるっとしていて美味しかったです。
江崎記念館大阪市西淀川区歌島4-6-5
TEL 06-6477-8257
受付時間:開館日の10:00~16:00
※予約の電話番号も同じ
月曜日から金曜日:前日までに電話予約が必要です。
第1・第3 土曜日:予約不要
午前10時~午後4時
休館日:
第1・第3土曜日以外の土曜日
1月・5月の第1土曜日
日曜・祝日・お盆休み・年末年始
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