
楠木七城の一つである烏帽子形城址へ行ってきました。
城址には烏帽子形八幡神社と烏帽子形古墳もあります。
写真は烏帽子形八幡神社への入口です。
この山は烏帽子をかぶった横向きの形に似ている?ので
烏帽子形山と呼ばれています。
この道は左へ進むと高野街道です。

石段の参道

途中にある恵比須社



重要文化財の本殿

稲荷社

左にも道がありますが、私たちは右に進んでみました。

烏帽子形城址~烏帽子形古墳~烏帽子形公園への
ハイキングコースになっていました。
どの道から歩いてもぐるっと一周できるようです。

山城の形がそのまま残っています。
鎌倉時代の城跡がこんなに綺麗な状態で残っているのも珍しいですね。



道表が沢山あるので絶対迷う事もありません。
堀の道が沢山あって楽しめますよ。

曲輪跡は、現在は本丸広場になっています。ものの15分程で到着。


"この城は残されている記録から一時期使われなかったこともありましたが、室町時代から江戸時代の初め、元和年間(1615年)までは確実に使用されていました。城は北側に石川本流を、東側に支流の天見川を見下ろす、標高182mの烏帽子形山に築かれています。 城の築城は南北朝時代に楠木正成によって築かれたと伝えられています。応仁の乱以後、河内守護の畠山氏の持ち城であり、安土桃山時代にはキリシタン大名で、この地域の有力な武士であった甲斐庄正治が城主となっています。そして最後の城主が徳川の旗本となった正治の子の甲斐庄正房です。 城は主郭と腰郭を中心にコの字状に堀と土塁が巡らされ、北東には曲輪が造られています。1988年の調査で主郭の西側の縁に沿って、室町時代末期ごろの2棟の細長い礎石建物が見つかり、城の施設の一部と考えられています。"
3代将軍足利義満が定めた三管領(斯波氏、細川氏、畠山氏)
大阪では案内板などにさらっとよく登場する畠山氏。
強いんですけど、無名武将というか、
あまりテレビなどで取り上げられることも無く
あまり知らないけど気になります。

標高182mの烏帽子形山の頂上部からの眺めです。

PLの塔が近いです。
ここってPL花火の時大穴場かもしれない。。

大阪市内方面。ハルカスも見えます。



磁石建物跡

高野街道方面へ下りてみました。


河内長野市烏帽子形公園プールだそうです。
もう営業していないのかな?

烏帽子形公園の無料駐車場に到着。
私達は烏帽子形八幡宮前の駐車場に停めたので
戻りましたがこの先にもまだ遊歩道があったんですね。

烏帽子山周辺の散策コースです。
暖かくなったらまた訪れてみたいです。
烏帽子形城跡
大阪府河内長野市喜多町725−1
無料駐車場あり
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