

真田庵から徒歩圏内に新しくできた、真田ミュージアムへ行ってきました。
もう2年前になりますか?大河ドラマで取り上げられて、
道の駅やミュージアムがオープンしました。


入館料は大人500円です。売店に六文銭のグッズが沢山売られています。

真田昌幸、幸村、大助の真田三代の軌跡と
幸村の生涯で一番長い時間を過ごした九度山での生活を
パネル展示とドラマ仕立ての映像により紹介しているミュージアムです。
大介さんについては真田十有士のアニメでした。^^;


上田時代
父真田昌幸は信濃国の国衆真田家の三男で、
別の家の家督を継いでいましたが、長男、次男が戦死し、
真田姓へ戻り家督を継ぎます。
昌幸の長男信之は、他家からではなく父の兄である真田信綱の娘おこうを
正室に迎えて次の当主となる予定でした。

長男信之には徳川、次男信繁と父昌幸は
豊臣に付く事に決めたのが犬伏の別れと言われています。
徳川家康は真田昌幸が大嫌いで、
でも長男の信之の事は好きだったようです。
信之は家康家臣の本田忠勝の娘小松姫を正室に迎え、
すでに正室だったおこうは泣く泣く側室にさせられます。
信繁は豊臣秀吉家臣の大谷吉継の娘竹林院を
正室に迎えていたので、運命は決まっているようなもんでした。結果論ですが。
信之は、家康への忠誠を示す為、名前の一文字から「幸」を捨て信之に改名。

九度山時代の歴史
関ヶ原の戦いでは西軍についた真田昌幸、信繁でしたが、
上田城を攻めに来た徳川秀忠軍を撃退したものの
西軍はたった一日で負けてしまいます。
家康は昌幸の切腹を命じましたが、信之と、本田忠勝が
説得し、高野山への流刑で済みます。

信之は沼田上田領9万5000石の大名となり、
父と弟への仕送りもしていましたが足りないようで
仕送りの催促や、焼酎を送ってほしいなどの書状が残っています。
その後も父と弟の赦免を求め続けましたが、父昌幸は九度山で病死します。

生活の支えに編んでいた真田紐
真田一族が編む前からあった紐ですが、
「真田が作った強い紐」という売り文句で広まったそうです。




からくりの部屋

大阪の陣時代
信之が捨てた「幸」の字を信繁が拾い、
真田幸村として、大阪の陣に出陣。

By
Several painters commissioned by Kuroda Nagamasa. -
National Geographic (image),
Digital-images.net (image description), パブリック・ドメイン,
Link大坂夏の陣の屏風は本物が大阪城にあり、
特別展などで見る事ができますが、常設で置いてあるのは
そのパネルであり、真田ミュージアムでも見ることができます。


真田幸村隊

真田大介

豊臣秀頼隊
金瓢箪の馬印を掲げた旗本衆は、秀頼の出陣を待っていましたが
秀頼の出陣はありませんでした。。><

大阪城


真田伝説と十勇志伝説

豊臣方の武将たち

真田丸の模型


上空写真を見ると、真田丸がそのまま残っています。
真田丸はどこにあったのか?は上から見たら答えが出てるじゃん。と思いました。
真田ミュージアム和歌山県伊都郡九度山町九度山1452-4
大人(高校生以上)500円
小人(小学生・中学生)300円
道の駅「柿の郷くどやま」から徒歩5分
9:00~17:00(最終入場 16:30)
休館日:月・火曜日(祝日の場合は営業・翌平日休館)
- 関連記事
-