
以前から行ってみたかったトルコ記念館へ行ってきました。

駐車場から灯台までの道にはトルコ記念館、
トルコのお店、トルコ軍官遭難慰霊碑、
魚見台、灯台旧官舎、アタテュリュク像、樫野埼灯台があります。

トルコ軍官遭難慰霊碑
ここは明治時代、トルコ軍艦「エルトゥールル号」が座礁した地です。
オスマン海軍少将以下587名が殉職、、
69名が大島樫野村民により救助されました。
引き揚げられた遺体は、遭難現場である「船甲羅岩礁」を真下に見下ろす
樫野埼の丘に埋葬され、明治24年、墓碑と追悼碑が建立され、
トルコ記念館は、トルコ国との友好の証として建設されました。


アタテュリュク像(トルコ初代大統領)と三頭三角点


トルコアイスのお店があります。

ちらっと見える海はとても荒々しくいかついです。


樫野崎灯台
江戸時代(1866年)に建った灯台です。


灯台に上ってみました。日陰に入ると涼しいです。



灯台からの景色です。眺めも最高でした。


灯台の官舎
イギリス人が設計した古い建物で、文化財に指定されているとかで
写真撮影禁止でした。入館料100円いります。
エアコンなしで汗がボトボト落ちました。
早口なスタッフが館内を案内してくれますが
とにかくすごく暑かったです。💦
それを察しているのかすごく早口でした。
遭難したトルコの船員は、50mほどあった崖を這いあがってきて
ここで助けを求め、島民一丸となって救助したそうです。
船は水蒸気爆発したため、助かった人たちも血まみれだったとか。
言葉が分からず、国旗一覧を見せるとトルコ国旗を指さしたそうです。

トルコ記念館
入館料は大人500円ですが、
日米修好館とセットだと600円でした。


ここでは、遭難したエルトゥールル号が日本にやって来た経緯や
事故の様子など詳しく知ることができます。

船はこんな感じの木造でした。

明治22年(1890年)、トルコ(当時はオスマン帝国)は
オスマン・パシャ特派大使海軍少将を特派使節として日本に派遣。
巡洋艦「エルトゥールル号」は明治23年6月7日に横浜港に到着。
1年くらいかかっています。(?)
オスマン帝国の使節団は明治天皇に拝謁し、
後は帰るだけでしたが、コレラなどの病気にかかってしまったため、
3か月日本に滞在しました。



事故現場
明治23年9月14日、日本は台風が多いので、もう少し滞在したほうがいいと
助言をしたそうですが、オスマン帝国の情勢が危うく、
急いで帰る必要があったそうです。
明治23年9月16日、エルトゥールル号は熊野灘に差しかかり、
樫野埼灯台下の岩礁「船甲羅」へ乗り上げ座礁します。


大島島民による救助活動


海から回収した遺品。
まだ引き上げられないまま海に沈んでいる
遺品が次々見つかるそうで、数人が行方不明のままです。

約100年後、イランイラク戦争中の1985年3月17日、サダム・フセインが
「今から48時間後、イラン上空を飛ぶ飛行機すべてを打ち落とす」
と世界に布告。各国は、自国民の救出に救援機を出しましたが
日本は救援機を出しませんでした。9条にひっかるのかな?
駐イラン野村大使は、各国に空席があったら
日本人を乗せて欲しいと頼んでいた所、
困難な情勢の中で、トルコのオザル首相は自国民よりも在留邦人216人を
最優先して救出する事を決断し、2機の救援機を出して
日本人を助けてくれました。取り残されたトルコ人もいて陸路で帰ったそうです。
後に駐日トルコ大使のネジアティ・ウトカン氏が、
「エルトゥールル号の事故に際して、日本人がなしてくださった
献身的な救助活動を、今もトルコの人たちは忘れていません。
私も小学生の頃、歴史教科書で学びました。
トルコでは子どもたちでさえ、エルトゥールル号の事を知っています。
今の日本人が知らないだけです。
それで、テヘランで困っている日本人を助けようと、
トルコ航空機が飛んだのです。」
この2つの出来事はwikipediaでも見れますが、
「海難1890」という映画で見ることができます。
舞台は串本とトルコです。
アマゾンプライムで見れますよ。

最近トルコ航空機の当時の復刻版が登場し、
「kushimoto」の文字が刻まれているそうです。
トルコ記念館入場料:500円(高校生以下250円)
和歌山県東牟婁郡串本町樫野1025-25
交通・アクセスJR紀勢本線串本駅よりバス37分
串本町コミュニティーバス大島・出雲線「樫野灯台口」下車、タクシー20分
定休日・営業時間年中無休・09:00~17:00
駐車場:無料84台あり
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